モナコとパリを行き来していたため当時は。
「厨房にたたないシェフは本物の料理人ではない」と批判された。
だが「負け犬の遠ぼえ」と全く気にとめな
かったという。皮肉も込めて「旅する料理人」とも呼ばれた。
デュカスさんはその皮肉をむしろ「的を射ている」と笑う。
「料理人にならなかったら、旅人になりたかったから」

  旅する料理人は技術と知識を正確に伝える伝授のシステムの成果だ。
デュカスさんはキッチンを「ルネサンス期の絵画、建築、彫刻のアトリエと同様」と語る。
弟子たちに自分の技術と知識を伝授することで世界に点在する30余りの店を統括。
「料理の帝国」の誕生は自信が「驚異的な体験」と呼ぶ飛行機事故の産物ともいえる。

  そんな「料理の帝王」はあくなき食の探究者だ。次の照準は魚。
「海のシャルキュトリ(加工品)」を構想する。
魚の熟成について徹底的に学び「海藻や海中に育つ野菜などといっしょに。
500メートル圏内のエコシステムで完結する」というプロジェクトだ。
「心身健全であれば、この世に何も障害はない」と言い切るデュカスさん。
料理人の域を超えた自由なあり方への探求は尽きない。
   (  日経  Mystoryより  アラン・デュカス  料理人  )