生まれて間もなく、大阪の祖父母の家で養子として育てられた。
職人が多い下町で、家の向かいには木工所があった。
建築家を目指そうと思ったきっかけは、中学時代に住んでいた長屋を改築した時に出会った若い大工だ。
「昼ごはんも食べずに、無我夢中に楽しく働いている。この姿を見て思った。
一心不乱に働くと腹は減らんなと。

現代ほど食が豊かではない当時、家庭の食卓には地元の食材が並んだ。
「ニンジンやキュウリ、ジャガイモなんかはみな、自分たちで作っていた」。
鶏を飼っている人も多く、目玉焼きもよく食べた。そして主食は麦。
関西は魚もよく取れた。
神戸の須磨で、水揚げされたイワシの山がキラキラと光る光景は今も目に焼き付いている。
  (  日経  食の履歴書より   安藤忠雄  建築家  )