今日も、朝は冷えましたが、いい天気です。
けさ、ランニングでK小学校の前を通ると、横断の旗を持った、当番のお父さんが、「おはよう」と。
児童に声掛けをしていましたが、その声が「食用ガエル」のようでした。
これでは、児童が「今日も、がんばろう!」という気になれないなあ、と。
イヤイヤ、旗を持つ当番だから、やっている、だけなのでしょう。
こういうのも、どうなんでしょう・・・。
立憲民主党の、女性議員が、与党を過半数割れに、追い込んだのに。
維新や国民民主が、「首班指名」で、協力せず、与党の政権維持になるのなら。
「選挙が茶番に見える」と、つぶやきました。
アホじゃありませんか?「野党が支持を拡大したわけではなく、与党のオウンゴール」でしょう。
だったら、立憲民主党だけで、「過半数」を取るように、すればいいのでは、ないですか?
「対決より解決」で、「政策実現」を訴えた、国民民主党のほうが、自力で票を伸ばしたと、思います。
いつまでも、反対だけでは、国民はついてきませんよ。
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母によって自宅学習を強いられていた私は、家での大半の時間を。
自室で勉強している振りをしながら名づけられない愉しみにふけることで。
何とか息をつないでいたようなところがあった。
勉強も部活動も、あらかじめちゃんと正解が決まっているようなものは少しも好きになれなかった。
こんな人間が、後に高校の教員になる。
新任教員の私は「PTA便り」にひとつの文章を書いて顰蹙(ひんしゅく)を買った。
その内容は、高校時代はサナギのようなもので、部活や塾通いもいいが。
こうだとはっきり言えない曖昧で意味不明の状態で過ごすことこそ自然なのだ、というものだった。
( 日経 文化 より 「名づけられないこと」 )