51年8月に泉先生は名瀬市(現鹿児島県奄美市)の高千穂神社で5日間の断食を決行し。
多くの島民が後に続いた。

泉先生の詩「断食悲願」には強い決意がにじむ。
” 膝を曲げ 頭を垂れて、奮然五体の祈りを込めよう、祖国帰心、五臓六腑の矢を放とう。
詩の力は復帰運動を戦う農民の大きな力となり、うねりは一層大きくなった。

   しかし、すぐには実を結ばなかった。
52年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効され日本は主権を回復。
北緯29度線以北の島々は復帰を果たしたが、奄美は依然、米軍統治下に置かれた。
   この日は奄美では「痛恨の日」と呼ばれている。

( 日経  「奄美のガンジー」の悲願 より  )