今日も、すばらしく、いい天気になりました。
きのうは、夏に使ってきたタオルケットを洗濯して、毛布を出しました。
あんなに、暑かったことが、ウソのように、思われます。
寒暖の差が、大きいですから、体調には気を付けてください。
日本原水爆被害者団体協議会が、ノーベル平和賞を受賞しました。
地道な活動が、評価されたことは、良かったと思います。おめでとうございます。
おめでたい話に、水を差すわけではありませんが。
ノーベル財団でも、「世界の平和」を願って、その後押しになるように、設定していると思います。
しかし、1994年の、アラファート(パレスチナ)、ラビン、ペレス(イスラエル)などの、受賞。
これなんかは、意味があったんでしょうか?今の状況を見ると、疑問です。
2000年の、金大中(韓国)の受賞は、なんと北朝鮮に、お金を送っていたとか・・・。
今の北朝鮮の、横暴ぶりの、抑止力には、ぜんぜんなっていませんよね。
もちろん、マザー・テレサや、アウンサンスー・チーさんの受賞は、納得するものがあります。
ノーベル財団の努力に、ケチをつけるつもりはありませんが、本当に「受賞にふさわしい」?
「ふさわしい」人や団体が、なければ、「受賞者なし」も、あってもいいのでは?と、・・・。
sこの記事をシェアす
前述のとおり、会話中のミスを指摘される時点で、相手は気分良くありません。
指摘が正しいものであっても、お互いの話を聞き合う「会話」の基本から外れているからです。
そんなリスクのある役は担わなくていいと考えてみてください。
とても親しくて、今後の人生もずっと大事にしたい、そんな深いお付き合いの人にだけ。
優しく丁寧に教えてあげれば十分です。
仕事での必然を除き、それ以外の必要性に絞っていくと。
言葉のミスを指摘しても良い瞬間はそんなに多く残らないのではないでしょうか。
私も同類なので痛感しておりますが「ちゃんと話す」より「ちゃんと聞く」方が実は難しいのです。
芝居も「受け」の芝居の方が、実は難易度が高いんですよ。
( 日経 なやみのとびら より 「言葉づかいより聞く方が大切」 )