しかし、余もまた敗れたりといえども、自死する心算は露ほどもない。
余にもとより達磨の定心なく、日がな一日、湧きむらがる妄念を抑制するあたわず。
刻々「意馬心猿」して、止むことなし。

かつて、亡き父が、余の客気盛んなるを戒め、諭し樽たる手紙の中に、次のような歌が添えられていた。

  春風の雪のとざしを吹くまでは冬ごもりせよ谷の鶯

英明な父は、この時、すでに息子の現在を予見していたかのようだ。
その父は五十一歳の時に流罪となり、十年もの間、僻南の田辺に押し籠目られた。
余と母、二人の妹は、紀三井寺の山門に立って、父が入れられた唐丸駕籠が。
黒江の細い谷間に消えてゆくのを見送った。
(  日経  陸奥宗光の青春 より )