今日も、少し曇りがちの、空模様です。
大川(旧淀川)沿いを、走ると、セミの声が、「合唱」では、なくなりました。
暑い暑いとは言っても、季節は確実に変化しているようです。
「厨房の哲学者」 脇屋 友嗣 著 幻冬舎 1650円 (税込み)
筆者は、占い師である父親から、「食神」がついているということで、中学を卒業すると。
東京の「山王飯店」に、就職させられます。
私と同い年ですから、確かに、「中卒で就職」は、少ない時代ではありました。
当時、「料理長は中国人」ということが当然な、時代にあって、チャンスをものにします。
立川でホテル経営を始めた、「馬場さん」という人との出会いが、運命を開きます。
ただそれは、筆者自身の「中国料理にかけた努力」が、めぐり合わせたのだろうと思います。
「上司に好かれる」、というのは、持って生まれたもの、だし、筆者の努力が、あってこそですね。
「WAKIYA」の看板を上げた店は、横浜でも東京でも、ニューヨークでも、成功します。
ただ、コロナ禍もあって、店を畳んだりしています。
筆者の「半生の記」という本です。
読んでみて、筆者は、「自分の管理の範囲」での、店舗経営には、適していると思いますが・・・。
「人に100%任せる」ことは、嫌いなようなので、「目の届く範囲」での、経営がいいのでしょうね。
どんな職業であれ、「一流になる」には、それ相応の「努力」を、しているということです。
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完投もみえた八回2死一塁、右脚ふくらはぎに違和感を覚えて降板。
「後は任せた」とバトンを受けた左腕の末吉は九回、自らの一塁悪送球で1死一、三塁を背負った。
次打者に打たせたゴロも痛烈だったが、遊撃手真喜志がしっかりさばいて併殺を完成させ、ゲームセット。
エースを救った先輩たちの好守に、比嘉監督は「最後にやりたい野球ができた」とうなずいた。
戦後80年の節目に、激戦地・沖縄の代表として2校目の全国制覇。
「平和があって生徒が野球をできることに感謝する」とかみしめる比嘉監督は。
地元に帰れば大歓待を受けるであろう教え子たちに「勘違いしないように」とも戒める。
計6試合を9失点で乗り切った末吉、新垣有の二枚看板に浮ついた様子はない。
末吉は「慢心するのではなく、これからは自分たちがチームを引っ張りたい」。
ライバルとの切磋琢磨(せっさたくま)を続け、来年もこの舞台に戻ってくるつもりだ。