ヘッドコーチなどの「ナンバー2」でいるときの方が、より味が出た。
ヤクルトで指導した若松勉、阪神で指導した掛布雅之、両選手ともに体格からは想像できない長打力を誇った。
下半身、特にももの内転筋を重視した指導のおかげだった。

  この理論に加え、ユーモラスで分かりやすい言葉で、選手の心をとらえた。
近鉄時代、ボールになる変化球に手を出す悪癖があったラルフ・ブライアント選手を。
本塁打王に押し上げたのは「我慢」の一言だった。

  ボール球で誘ってくる日本投手を崩すには振りたい心を抑えること。
中西さんの粘り強い指導で、最後は呪文のように「ガマン、ガマン」と唱えるようになっていた。

  ヤクルトで指導を受けた岩村明憲さんは初対面の時の言葉が忘れられないという。
高校を出たばかりの岩村さんに「ワシに、バッティングを教えてくれや」。
「どれ、見てやろう」ではなくて「教えてくれや」。
若者のプライドをくすぐりながら、その気にさせていく話術の見事さ。

  自身の本塁打は244本にとどまったが、豪打の遺伝子は弟子たちの何百本という本塁打になって。
受け継がれている。
        ( 日経 スポーツ 「怪童、受け継がれる遺伝子」より  )