今日も、いい天気。
大川(旧淀川)沿いでは、「天神祭り」(24・25日)の準備が、進められていました。
久しぶりの開催ですから、大勢の人で、にぎわうと思います。
アベマで、「給食がない夏休み」が、議論されていました。
「子育て貧困世帯」の当事者として、R子さん、高3・高1・中1の、3人の子供を持つ。
元夫から、養育費をもらっていない、シングルマザーが出ていました。
支援しなきゃいけない、子供が「栄養失調」になるから、たいへんだ、・・・とか。
うーん、どうなんでしょうね・・・。
「貧困」といっても、「相対的貧困」なのではないでしょうかね・・・。
私は、夏休みの昼ごはん、って、ごはんと漬けもの、だけでしたけどね。
このR子さんて、月に1~2回、外食していますね。
外食や家族旅行なんて、行ったことがないんですけれど、私は・・・。
高校生になれば、「アルバイト」で、お金を稼ぐことも、できるし・・・。
そういうことを考えないのですかね・・・。
「他の裕福な家庭」と比べて、「貧困」と思っているのでは?
私は、小学生の時に、「コーラのビン」を探して、売りに行ったものです。1本、10円になりました。
「貧乏人」なら、「お金を稼ぐ」方法を考えないと、・・・。
「貧乏な家庭」に育ったから、「自分の人生も貧乏だ」なんて、言っていても、仕方がないですし。
それは、「親ガチャ」、「運命」ですね・・・。
それなら、「どうやって、お金を稼ごうか?」を考えれば、いろいろ思いつくはずです。
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昨今、話題のAIやメディアの語り口を含め、共有のことばですべてを解決できる。
しなければならないと、思いこまされるような圧を感じる。 小説、音楽、乗馬。
ことばが通じないことを乗りこえ、あるいは、ことばが通じないからこそ。
なにかをわかちあえた瞬間、喜びが倍加する。
外国旅行もそう。そっと残しておく贈り物もそう。
みな共有の日本語をしゃべっているようで、実のところ、それぞれのことばしか使っていない。
ことば以前のもやもやの色、かたちは、ひとりひとり、誇らしくもちがう。
ことばは、こころの「乗りもの」であり、いのちのはらむ「動物」でもある。
万が一、相手に伝わってくれたら、細心に、呼吸を合わせ、自分だけの手綱を取る。
遠い手紙が届く。無言の微笑みが輝く。ことば以前のもやもやが、胸にしみとおる。
ぼくたちは、いきいきと命が弾む世界に取りまかれている。
ことばが通じあわない相手への敬意を、ふだんから忘れずにいる限り。
( 日経文化 小説は馬のように より )