今日も、朝から暑いですね。
大川(旧淀川)沿いを走っていると、「つの字」に曲がった体で。
ウォーキングしている、お爺さんに出会いました。
年を取ると、なかなか運動しなくなるし、体も柔軟性が無くなってくるんですよね。
昨日、大阪ステーションシネマで、映画「国宝」を見てきました。
ネットでは、「キレイだった」とかいう感想が多いのですが・・・。
うーん、まあ、感想は人それぞれですからね。
歌舞伎の世界の「閉鎖的なところ」、「歌舞伎の価値は、『部隊』があってこそ」とも、思いました。
喜久雄(のちの人間国宝)が、地方のドサ回りで踊っても、その価値は、客にはわからないし。
「血がすべて」みたいなところも、「競走馬」ではありませんから、「今どきどうなのか?」とも。
喜久雄の晩年は、吉沢亮では、ちょっと無理がありましたね。
いくら、白髪にしても、「老人」には、見えませんでした・・・。
見て、これが、100億円を突破する映画なのか、といわれれば、「まあ、確かに」という感じです。
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それはそれで役に立っているが、若者向けには。
もっとくだけた言い回しにしていった方がよいのではないかという意見が出た。
改修を検討することになったが、文の末尾に読点をつけるかどうが議論になった。
「マルハラ」と呼ばれることがあるように、文章の末尾に句点がついていると。
圧迫感を抱く人がいるといわれているからだ。
「マルハラ」という言葉を初めて聞いてたとき、私は少し驚いた。
しかし、認知科学を専門にする今井むつみさんが。
著書『「何回説明しても伝わらないは」なぜ起こるのか』の中で書いているよう。
当たり前は人によってずいぶん違っている。
( 日経 こころの健康学 より )