昭和35年春場所。横綱栃錦と若乃花による「栃若時代」。
そのピークとなった史上初の横綱同士の千秋楽全勝対決。
栃錦はこの一番で敗れ、翌夏場所で初日から2連敗すると、淡々と引退を表明した。
当時35歳。1月の初場所では14勝を挙げて10度目の優勝も飾っており、虚をつかれたような幕引きだった。
長期休場、出場と休場を繰り返して引退に至ることが多い現在ではみられない決断といえるだろう。

   栃錦(のちの春日野親方)の弟子で、春日野部屋を継承した。
元横綱栃ノ海の花田茂広さん(故人)からかつて聞いた話は、その場面の想像をかきたてた。

   栃錦は昭和29年秋場所後に横綱に昇進。ある夜、昇進祝いの宴席があった。
宴も終わって部屋でくつろいでいると、弟弟子がやってきて「師匠が呼んでいます」。
栃錦の師匠の春日野親方(元横綱栃木山)の部屋へ向かうと。
師匠は部屋の真ん中で背中を向けて座っていた。そのまま振り向かず、短い言葉を一方的に告げたという。

   「たったいまから、辞めることを考えて過ごすように。桜の花の散るごとく」

   褒美のひとつもあるのかと思っていた栃錦は「ずいぶん冷たいことをいう」と嘆息したそうだ。
だが、引き際こそ綱の権威を守る最後の決断。栃錦は師匠の教えを守った。
ここに是非はない。細く長くの考えもある。満開の桜が風に吹かれ。
猛烈な桜吹雪が広がる光景を思いだしてほしい。言葉を失うような美学の発露が、そこにはあった。

       (  サンケイスポーツ より  )