しかし、考えてみればこれは谷川太郎に限った問題ではなく、詩人全体の。
いや人間存在そのものの問題で、人間たるものはほんらいら厳密な意味では誰をも。

   たぶん自分自身をも愛せない存在なのではないか。
この、いわば本来的な愛の不可能性から、宗教も、哲学も、さらには芸術も発生するだろう。

   その自覚を欠きがちの現代日本という風土にあって。
そのことを誰よりも敏感に感じていたのが詩人谷川俊太郎なのかもしれない。

   そんな谷川の若い日の作品に、忘れがたい3行のがある。
「本当のことを言おうか 私は詩人のふりはしているが 私は詩人ではない」

   1968年、画家香月泰男と合作の詩画集『旅』に収録された。
「鳥羽」連作11篇中の最初の詩編2連のこの3行ほど、詩人谷川俊太郎の原点を示しているものはない。

   自分が詩人であり自分の書くものが詩であると信じて疑わない詩人たちの中にあって。
自分が詩人ではなく自分の書くものが詩ではないという自覚のもとに。

   それでも書き続けずにはいられなかったのが谷川阿俊太郎の孤独のありようであり。
その孤独こそが谷川が真の詩人だった理由だと、逆説的に言うことができるだろう。

   この逆説、いや正説が無意識の共通理解のうちに、谷川俊太郎を国民詩人にしたのだとしたら。
現代日本の国民も捨てたものではない。。

     (  日経  文化 より 「詩を疑い続けた国民詩人」 )