ぜんぜん、いい・・・

生活
  今日はいい天気で、気温も上がるようです。
大阪で、昨日、桜の開花という発表がありました。
  気象庁の標準木が、咲いたのでしょう、今日の気温で、大川沿いの桜も開きそうです。
 ” ぜんぜん、いい・・・” って?

  よく、日ごろの会話の中に、「 ぜんぜん、いいです 」って、言葉が入ってきます。
これって、違うだろ? 普通、「 ぜんぜん+否定語 」だろ!と、思っていました。
  しかし、調べてみると、そうでもないらしいんですよね。

  日本語に関する言論誌「コトバ」「工程」「日本語」の3誌の中で。
「全然」がどのように使用されているのかを調べた結果。
590例中354例が肯定表現を伴っていたこと。
「本来否定を伴う」という規範意識は昭和10年代の段階ではまだ発生していなかったようです。
さらに、日本の文豪も「全然+肯定」の表現を使用しているとか。

・「一体生徒が全然悪いです」(夏目漱石「坊っちゃん」明治39年)
・「全然関知せざるもののごとく装い」(石川啄木「日露戦争論」明治37年)
・「全然、自分の意志に支配されている」(芥川龍之介「羅生門」大正4年)

こういった研究成果から、「もともと『すべて』『すっかり』の意で肯定表現にも用いられていた」と。
辞書にも追記されるようになったようです。

  うかつに、「 それはちがうだろ! 」と言うと、揚げ足をとられそうです。

  心に残る言葉  March ㉔
    ” 気持ちの初期化を図るにかぎる ”
  プロに入って来る選手なら、一度は投手をやったことがあるだろう。
野球センスの塊でなければ投手は務まらない。
根尾はそれをずばぬけたレベルでこんなしてきた選手なのだ。
  そんな才能の塊が、1軍に定着できていない。
3年目の昨季まで、球団の方針も定まらず、内野、外野とふらふら。
これといったものをつかめないまま、打撃も試行錯誤が続いている。
もやもやを吹っ切るには投手に転向し、気持ちの初期化を図るにかぎる。
もちろん、投げながら打席にも立つ。
高校時代は自分が投げて、抑えているうちは負けることはない、という気持ちでプレーしていたはずだ。
ついでに打撃で貢献すれば、勝利は間違いなし、という具合だった。
  ついでと言えば言葉が悪いが、そのくらいのゆとりを持てば。
打撃でも「これだ」というものが見つかるはずだ。
  甲子園の主として活躍した根尾のにとっての。
1軍に上がっても試合に出たり、出なかったり境遇は慣れないものだ。
これはストレスがたまる。
プロはレベルが違うのだから仕方がない、という意見もあるだろうが。
根尾のような主役タイプは試合に出続けることが大事だ。
(  日経  悠々球論 権藤博 より  )

     生活雑感  March  ㉔

  昨日、18時から、ゼレンスキー大統領の演説を聞きました。
意外と、日本に対しての要望は、ありませんでしたね。
  ウクライナから、8000km、飛行機で15時間も離れている国に、言っても仕方がないからか・・・。
  しかし、圧倒的に軍事力で劣っている国が、” 演説=言葉 ” という力を使う。
これは、賢い戦術ですね、この事実は、世界史に永遠に残されると思います。
山東参議院議長の、「わが国とウクライナは常にこころはひとつ」という言葉は、軽く聞こえました。
  今日もよい一日でありますように
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