今日も、暑くなるようです。
天神祭りで、天満宮の近くの道路は、しめ縄や笹竹で飾られ、いつもとは違った趣があります、
「神様に願う」というのは、古代エジプトの人々が、「太陽」を神様としたときから。
続いているのですね、
「退職してからだいぶたち、身体の不具合と向き合いながら暮らしていますが。
何歳まで生きればいいのか分からない時があります。
以前、亡くなった母親に聞いた時は『お迎えが来ないからしょうがないねえ』と言われましたが。
そんなものでしょうか。」(徳島県・70代・男性) ( 日経 なやみのとびら より )
いやあ、これを読んで、「ギクっ」としました。
「身体の不具合」で、何にも、やる気が起こらない、興味がわかない、のでしょうか?
私よりも、人世代上と感じつつも、そんなに変わらないので、複雑な気持ちです。
体調が悪いと、何もする気になりませんが、「人生は1回きり」ですから、前向きに生きてほしいですね。
回答者は、死の恐怖と死へのあこがれ、をもちつつ、「死の不条理」の中で、生きていくしかない。
そんな風に、回答していました。
どのように、思われますでしょうか?
sこの記事をシェアす
八代での公共建築は91年の博物館で終わらず。
市長のはからいで「養護老人ホーム八代市立保寿寮」(94年)と「八代広域消防本部庁舎」(95年)も。
設計させてもらった。
消防本部庁舎の建設予定地を見に行くと、かなり広くて開けっ広げな印象だ。
ふつう消防署の内部が一般の人の目に触れることはあまりない。
しかし、敷地の隣が小学校だったこともあり、子供が学校に帰りに立ち寄ったり。
街の人が訓練の様子を見に来たりできる場所にしたいと話し合った。
僕自身が消防隊員の仕事の大変さを知り、それを多くの市民に見てほしいと思ったし。
建築を身近に感じてほししかった。
そのころから僕の建築に対する認識が変わり始めた。
それまでは表現だけでうまく見せようとしていた。
しかしデザインがきれいだとか、機能的だということだけではダメなのだ。
建築はさまざまな体験や行動を誘発する「場」であるべきだ。
( 日経 私の履歴書 より 伊東豊雄 建築家 )