「プラタナス」

生活
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   今日も、雨が降り続いていますが、昼過ぎから、上がるようです。
平年だと、6月の2週目ぐらいまでは、いい天気が続くのですが、もう梅雨入りしてしまいました。

   蒸し暑いのが、イヤですね。

      「小学校のプラタナス」

①  お寺に敷地内に、「忠魂碑」が、以前と変わらずに、残っていました。
子どもの頃は、よくわからなかったのですが、大人になるのつれて、「日露戦争」の。

   殉死者を弔うためのものと分かりました。
日本国中に、当時の政府が、作らせたのかもしれません。

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 ② この道路、田んぼの「畦道(あぜみち)」だったんです。
こんなに広い道となり、住宅地になるとは、思いませんでした。

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   ③  「畦道(あぜみち)」の、途中にあった、田んぼの真ん中にあった、「馬頭観音」。
農作業に、馬を使っていたからか、道中の安全のためか、わかりませんが。

      昔は、こんな立派な石ではなかったですね。

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    ④  この地域唯一の、会社「A食品」(主に納豆を製造販売)が、ありました。
近所の主婦たちは、こぞって、ここで働いていましたが、今は更地になっていました。

        なんとも、言いようのないですね。

   

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   ⑤  この景色は、昔のままですが、「橋」が付け替えられています。
小学校の校歌にも、中学校の校歌にも、この川の名前が必ず登場します。

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⑥  なんと、私が50年以上前に通った、小学校にあった、「プラタナスの木」が。
形を変えて、残っていました。

   けっこうな樹齢なので、「植え替えた」わけではないと、思います。
つまり、ここが校庭の、真ん中だったと思います。

   小さく、切られていますが、当時は30m以上の大木でした。
小学校は、その後移転、旧小学校→保育園になったようですが、今は、市の施設になっているようです。

   プラタナスは樹齢100年以上、今後も、枝葉を保ってほしいですね。

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(つづく)

        今日もよい一日でありますように

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