2003年からJリーグ1部(J1)の横浜Mの監督に就任した。
低予算の札幌の次は、ビッグクラブでJ1優勝にチャレンジしたいと考えた。

   当時のJ1は鹿島、磐田の2強時代。前年の横浜Mは年間順位こそ2位だったが。
第1、第2ステージの前期後期を完全制覇した磐田に勝ち点で16の大差をつけられていた。

   最初に手を付けたのはチームの意識改革だった。
クラブハウスの更衣室の掃除に始まり、移動バスでの携帯電話の使用禁止まで。

   選手は不満顔だったが、練習や試合への集中力を高めるには準備に手抜かりがあってはならない。
ランニングの周回では目印のコーンの内側を走る近道を戒めた。

   「1mくらいいいか」は球際の1ミリの負けにつながる。
細部をおかにする者に運も味方しない。

       ( 日経 私の履歴書 より 岡田武史・元サッカー日本代表監督 )