今日も、晴れて、陽だまりは暖かいですが、風は冷たいですね、
彼岸の中日ですから、全国各地で「お墓参り」を、されていると思います。
「地下鉄サリン事件」から、30年も経ってしまいました。
亡くなられた方、被害を受けられた方には、ご冥福とお見舞いを、あらためて申し上げます。
なんで、松本智津夫のような、インチキ野郎に、「高学歴の若者」が、ダマされてしまったのか?
今だに、不思議でなりません。
人は、どんなに教養があっても、「集団に入れられ」たり、世の中から遮断された「密室に入れられ」たり。
「暴力をされ」たり、すると、弱いものなのかもしれません。
「信教の自由」は、憲法で保証されていますが、「宗教」とは「怖いもの」と、思わざるを得ません。
「すべてを捨てて(財産は教団に喜捨)、出家しろ」というのは、宗教の「常套手段」ですよね。
人間は弱いものだから、「何かを心のよりどころ」に、しないと生きていけない。
今はやりの、「推し活」なんていうのも、その一つかもしれません。
なかなか、難しい問題です。
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その擦り合わせを兼ね、キャンプでは審判団が各球団を回り、ブルペンでの投球練習に立ち会う。
しかし、審判団に「まだ見てくれるな」という投手がいた。江夏豊氏(阪神など)。
「江夏は制球が悪い」との印象をもたれないよう。
キャンプ初期の未調整の段階での立ち会いを断ったのだそうだ。
キャンプから勝負が始まっている、とはまさにプロの世界。
ストライクゾーンなんて1つに決まっている、審判ごとにばらつぅのはおかしい。
ましてや印象でさばくなんてありえない。それはそうなのだが。
人の曖昧さ、ゆるさが持つ「遊び」の効用というものがある。
人がやることだから仕方がない、と許し、あるいは諦めるための口実を人はどこかで欲してはいないか。
それはギリギリと白黒を突き詰めていく機械には求め得ないものだ。
人という緩衝材が除かれた場所で、知らず知らず、人はストレスを抱え込むおそれもある。
( 日経 逆風順風 より 「ロボが球審 温もり恋しい」 )