孤高の柔道家・・・。大野将平にはそんな呼称が似合う。
組手の取り合い、探り合いに主眼を多く選手が増える中、大野が信条としてきたのは日本の柔道の原点である。
「正しく組んで、正しく投げる」こと。「『ラストサムライ』だと思って戦ってきた」と自身が語っており。
スポーツ性に追及に迎合することなく、”古き良き日本柔道”を体現する存在だった。

2連覇を達成した東京五輪後、自身の階級での実践復帰はなかった。
「心の燃える大会が出てこなかった。同じ階級で10年戦う中で、やりたい選手もいなくなった」。
昨年12月に日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長などから指導者への応募を勧められ。
試合から離れる決断に至った。

「私にとって試合は命をかけて戦うところ。楽しむ場ではなかった」。
欧州で新たなスタートを切り、柔道の楽しさを再確認したいという思いもある。
「日本は五輪の金メダルが当たり前で、なかなか評価されない切なさも感じていた。
欧州の柔道人気や熱量はすごいものがある。国際大会の裏側、運営についても聞いてみたい」。
(  日経  柔道・大野、指導者の道へ より  )