東京、パリと五輪の大舞台には届かなかった。
復帰戦となった昨年2月の国際大会では「体は絶好調だったが、気持ちが乗らなかった。

   心技体が100%の状態で試合に臨めないときが気が済まない」。
勝負師としての終わりを実感し、引き際を悟った。

   貫いてきたのは、二本を持って投げる美しい柔道へのこだわり。
「阿部選手との試合では、そこが自分の弱さになった」とも語る。

   五輪への壁となり続け、片時も頭から離れなかった好敵手に対し、今思い抱くのは。
「彼の存在がなければここまで頑張れていない。強くさせてくれてありがとう」との感謝の念だ。

   五輪とは無縁だったが、引退後も国内外から指導を請う声がやまない。
その事実こそ、丸山という柔道家が唯一無二であることの証左だろう。

   「10個の技を覚えるより、1つの技を極めるべき。そうすれば世界で戦える選手に近づける」。
比肩なき技の切れ、そして自らの信念を後世に継承していく。。

           ( 日経 引退模様   より  柔道・丸山城志郎 )