今日もいい天気で、気温が上がりそうです。
各地から、桜の開花が発表されていますが、大川(旧淀川)沿いの桜は、もう少しかかりそうです。
家のフローリングに、タンポポの「綿毛(種子)」が、入り込んでいました。
どうやら、私が衣服に付けて、持ち帰ったようです。
自分は動けぬ、植物の、したたかさと生命力を、感じました。
東京地裁で、旧統一教会の「解散命令」が出ました。
教団側は、抗告をして、高裁、最高裁と、争うでしょう・・・。
信者の中には、「冷静になって、離れて行く者」、逆に「熱くなって、より狂信する者」。
それぞれが、カタマリとなって、出てくるのでしょう。
「信教の自由」とはいえ、「宗教の怖さ」を感じます。
貧乏人は、それこそ、「手を合わせる」だけでいい、「水一杯」を上げてくれるだけでいい。
そんな、「宗教」って、ないんですかねえ・・・。
「宗教」は、「心の問題」であって、「宮殿みたいな建物」、「きらびやかな、教祖の恰好」。
それらは、「人をだます」道具、と言わざるを得ません。
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相手がいちかばちかの勝負に出てくる以上、投手側も割り切って行く必要がある。
それができていたのが今永だ。
四球は多かったけれども、しっかり腕を振った結果であって、佐々木の与四球とは違っていた。
若くして完全試合をなし遂げた佐々木の絶対的な投球への期待は大きい。
しかし、そこは発想を変え、打たせる。あるいは打たれる覚悟が必要かもしれない。
ドジャースの大先輩に1950~60年代にかけて165勝をあげ。
野球殿堂入りしたサンディー・コーファックスがいる。めっぽう速くて、カーブも切れる。
佐々木のように、いくらでも三振が取れていたが、自分でも「いい投手」になったと。
思えるようになったのは打者を完璧にねじ伏せようという投球から。
どうやって打たせるか、と発想を転換した時からだった。
少しくらい打たれても、という心の遊びが、投球の幅をもたらしたのだろう。
1965年には完全試合も達成している。
少しでも長い回を投げ、チームに勝ちをもたらすのが先発の使命。
それを長丁場の中で続けるのがメジャーのエースだ。
( 日経 より 「勝利とショー二刀流」 )