祖父は農家の生まれだが、どちらかというと陸より海が好きだった。
小舟で沖合に出たり、40㎞ほど離れた同県四国中央市まで自転車を走らせたりして生き物を採集・研究した。

   大正末ごろからカブトガニの研究をはじめ、現在のような専門器具がない中で。
30年に人工ふ化に初めて成功した。

   発生標本はホルマリン漬けにして全国の教育機関に送り。
自宅では居間のふすまを取り外して展示会を催していた。

   祖父の時代は干潟に行けば足場に困るほどカブトガニがいた。
漁師からは網を切る厄介者として嫌われていたが、その生態の注目し、面白がった。

   「自然に学べ、触って学べ」が口癖だった。
祖父の影響は大きいが、同じ道に進もうと思ったのは82年、大学3年の時だ。

   日中の文化交流団の一員として中国・アモイを訪れ、多くの研究者と行動をともにした。
特に世界のカブトガニを研究してきた静岡大学の伊藤富夫教授の薫陶を受けた。

   先生方の話を聞くうちに祖父の活動の意義に改めて気づいた。
父と同じく中学で理科教員をしながら、保護活動に携わろうと決めた。

       (  日経  文化 より  「カブトガニ、3代で守って」 )