当時アラスカは石油パイプラインが通って景気がよく、店はすぐに大繁盛する。
家族も呼び寄せ、寝る間も惜しんで働いた。初めて休みを取ったのは開業50日目、感謝祭の日のこと。

     一息ついていると電話がかかってきた。「店が火事だ!」。「初めは冗談だと思いましたよ。
でも遠くでサイレンの音がして、煙が上がるのも見えて・・・」。

   その後の記憶はない。店は消えた。、最後の挑戦も途絶えた。借金だけが残った。
1杯の水を飲んでも吐くほど追い詰められ、どうやって死のうかと思いを巡らせた。

   思いとどまれたのは、ふと耳に入った娘の笑い声に。
「そう言えばぼくは一人じゃなかったと気づけたから」。心境にも大きな変化が起きた。

   昔から人一倍頑張ってきた。でも、その頑張りには「友達がベンツを勝ったとか。
周りを見ての焦りがあったんですね」。今やどん底まで落ち、失うものは何もない。

   「慌てず、1日1ミリでも前に進めばいいと無欲のなれた」。
その後の人生に通底するこの思いが、「step   by   step」という言葉に込められている。

   現金二十数ドルとボストンバック1つで、知り合いが紹介してくれたロサンゼルスの店へ。
ぺルーの料理を取り入れるなど日々新たなチャレンジを重ねるうち、お客もついてくれるようになった。

   色々な人のサポートを得て1987年、37歳で日本料理店「Matsuhisa」を開くことができた。

       (  日経  My Story より  「NOBU」オーナーシェフ  松久 信幸 )