日本でわたしも考えた

生活
  今日もいい天気になりました。
昨日はまるで冬のようで北風が吹いていましたが・・・。
造幣局の ” 通り抜け ” も 例年のような騒々しさはなく、終わりそうです。
     読了の余韻 April ①

   「 日本でわたしも考えた 」 パーラヴィ・アイヤール 著

  インド人ジャーナリストの4年間の日本滞在記です。
  中国→インドネシア→日本→スペインと引っ越していく途中の、日本滞在論です。

  仏教は、インド→中国→日本と伝わりましたが。
インドの僧侶は何もせず、中国は共産革命で、日本だけが、” 作業をすること=修行すること ” 。
そういう、教えになっていることに驚きます。
学校で、生徒が掃除することも。
そして、小さい子供でも一人で歩ける安心・安全、トイレがキレイなこと。

  日本のゴミの出し方や、温泉の入り方、公共交通機関でのルール。
” 目に見えるものから見えないもの ” まで、細かいルールがあることに驚きます。
  俳句や金継ぎなどの伝統文化に良い評価をしていますが。
政治・社会問題などでは、小さいことにこだわって、大きい問題は放ったらかし、と厳しい指摘です。
その他、「中村屋のボース」とカレーの伝播、東京裁判のパル判事に対する評価、インド象のこと。

  外国人が日本のことを書いた本はたくさんありますが、まあ、なるほどな、という本です。
原書の題は「Orienting An Indian In Japan」で、” 日本でインド人が順応 ” です。
  それを、訳者が、「インドでわたしも考えた」( 椎名誠 )から、マネたようです。

    心に残る言葉  April  ⑰
     ” あきらめなければ、道は開ける ”
  昨春、館長になった日本科学未来館でも、視覚障害者に使ってもらう計画だ。
未来館を親子のためだけではなく「新しい科学技術の社会実装の実験場にしたい」と話す。
  いつごろ、スーツケース型ロボットのアイデアが浮かんだのか。
「20年前から、いや、ずっと前からできないかと考えていた」と明かす。
その実現には技術開発のほかにも、法制度の整備や規制緩和が必要で。
政府への働きかけにも取り組むつもりだ。
  「あきらめなければ、道は開ける」。
決して簡単ではないが、強い信念で挑戦し続ければ、今と違う未来がくると考える。
(  日経  My Story    より  浅川智恵子  日本科学未来館館長 )

     生活雑感  April  ⑰

  昨日の日本ハムの、スリーバントスクイズは、これぞ新庄野球と感じでした。
しかし、大谷選手の2本のホームランの方が、新聞の扱いは大きかったですね。
今日もよい一日でありますように
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