今日も、風が冷たいですね。これから日中は晴れるようですが・・・。
近くにあるガソリンスタンドが、解体の防音幕で覆われていました。
えっ!ひょっとして、廃業?ガソリンだけでは、儲からないと言われていますからね。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 三宅 香帆 著
集英社新書 1100円(税込み)
筆者は、アベマプライムに、登場して、コメントしたりする女性です。顔を見たことがあります。
それはともかくとして、「読書」が、明治時代から、どう変遷してきたのかを、まずは語っています。
明治時代に、「西国立志編」が刊行されたことにより、身分に問わず、「がんばれば立身出世できる」と。
高等教育を受けたエリートは「教養」、労働者階級は「修養」が、主だったが・・・。
「教養」「修養」の区別が、無くなって、戦後はサラリーマン小説、テレビドラマの小説。
平成、令和になると、「自己啓発本」が、読まれていると。
「労働時間」や「社会政策」「教育政策」によって、読まれる物、読む時間を分析しています。
インターネットが普及して、読書時間が減った、ということよりも。
「ゆとり教育・自己実現追及」や「働き方改革・ワークライフバランス」、などによる影響も大きいと。
読書→ 知りたいこと+ノイズ、インターネット→ 知りたいことのみ。
将来的に、プラスになるかならないかの「ノイズ(背景・歴史とか)」が、大切なのでは、と言っています。
まあ、確かに、「ファスト(早い)」ことが、ますます求められていますから・・・。
筆者は、仕事に「全身全霊」でなく、「半身」であれば、「読書は可能」と言っています。
うーん、それは難しいところですね。時間があったら、「パチンコ屋に」 という人も、いますから。
「読書は強要されるもの」でもありませんし、長時間労働でも、「読書する人」はいます。
自分の意思次第、でしょうねえ・・・。
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山の稜線は、子どもが鉛筆で引く線に似ている。
まっすぐではなくて、だからこそ美しく、山と空の間を視線でなぞるだけで読書時のような愉悦を味わえる。
隣を歩く子の目には、どんな線に見えているのだろう。
小学生のこの子は、旅行先などでよく、「これを絵にしたい」と言い出す。
モニュメント、花火、鉄塔・・・。
徐(おもむろ)にリュックからスケッチブックを取り出し、線で景色を写し取る。
私は線の引き方、そして、引けない戦について、思いを馳せる。
脳は人によって違う様式で動く、と聞いたことがある。
言葉を思考軸にするタイプ、絵や映像のようなイメージで思考するタイプ。
音で思考するタイプ、他にも様々なタイプがあるらしい。
私は言葉をメイン、隣にいる自閉スペクトラム症のある子は映像をメインに思考している気がする。