詩作以外に、作詞、翻訳、脚本・絵本執筆など活動の範囲は広かった。
フットワークは軽く、長男で音楽家の賢作さんらと組み、自作の朗読会を各地で開いた。

   来場者との軽妙なやり取りからは気さくな人柄が伝わってきた。
貫いたのは「俗は大事」という姿勢であるり、様々な注文に応えて多くの人に伝わる詩を書いた。

   「自由に書いてくださいと頼まれるより、器が決まっていた方がやりやすい」と話していた。
それはどんな媒体でも自分は変わらないという自信の表れでもあったのだろう。

     (  日経  谷川俊太郎さん死去 より 「平易な言葉で深遠な世界」 )