「MNダンスカンパニー」は、欧州やアジアなど多様なバックグラウンドを持つ。
ダンサーがアンサンブルを構成する。

   メンバーの一人、西原瑛里は東京出身。英国の名門バレエ学校で学び。
ドイツやハンガリーなどでの活動をへて、21年にカンパニーに加わった。

   「ボーダーをなくすことは常に作品づくりのテーマであり。
ダンスは言葉に頼らないボーダーレスな表現。この街は互いの国籍を意識せず、個人を尊重する空気がある」。

   街の歴史をひもとくと、中世以降、一帯は長くはハプスブルク家の領地だった。
東西を結ぶ交通の要衝で、人々は盛んに往来した。しかし20世紀になると歴史に翻弄された。

   第2次世界大戦後に旧ユーゴスラビアが誕生すると。
街中にユーゴとイタリアの国境が引かれ、住民は分断される。

   19991年のユーゴ解体、スロベニアの誕生後も国境は残る。自由な往来が再び可能になったのは。
EU域内での移動の自由を認める「シェンゲン協定」に同国が加盟した2007年のことだ。

       (  日経  文化 より 「東西の壁、ダンスが溶かす」 )