決断の背景には、高校時代の経験があったかもしれない。2年秋の県大会で8強入り。
翌年の選抜大会に向けた選考で関東・東京の21世紀枠候補校になり。

   同校として1924年の夏以来、ほぼ1世紀ぶりの甲子園出場に近づいた。
ところがその直後、コロナ禍で部活動はストップ。選手権栃木大会も消えた。

   最後の夏について、「代替大会(交流試合)を開催していただいて良かった」と感謝するが。
不完全燃焼の感があった。「もしかしたらそのおかげで。
東京大学でもう一度、野球をやる決心ができたのかもしれません」

   大学4年生のシーズンも昨年に続いて背番号44をつける。レギュラー選手としては大きい数字。
プロ野球で44から飛躍していった柳田悠岐(ソフトバンク)らと同様に「まだまだ伸び代がある」
ことをイメージしている。

   大学でも高校でも野球に打ち込む分、勉強にかけられる「時間的な制約はある」という。
支えになっているのが、高校時代に指導を受けた篠崎淳監督が言った「文武不岐(ふき)」という言葉だ。

   文武両道は「どちらも頑張る」だが、「不岐」は文字どおり分けて考えない。
「野球の地道な練習で培った体力や忍耐力は、長時間勉強できることにつながる。
勉強で集中して問題を解くことは、投手と対戦する際の。
ここぞという時の集中力につながる」と解釈している。

   進学など春からの新しい環境で、スポーツを続けるかどうか、迷っている人へのアドバイスをたずねた。
自身の経験から「対戦相手の研究やデータの分析など、高校までの野球と大学の野球は。
別の競技と思うぐらい違った。そういう楽しい経験を知らないのはもったいないと思う」と語った。

     (  朝日新聞 より  )