夏の終わりの、「断末魔」のような、高温が続いています。
7日の「立秋」になれば、気温も徐々に下がってくると思います。
もう少しの辛抱です。
「情報ライブ ミヤネ屋」 で、読売テレビ特別解説員の高岡達之氏は、いいこと言いましたね。
小泉進次郎・農水大臣が、「人も給水車も、お金を出します」、と。
貯水池に、給水車で水を入れ始まましたが、「やるか、やらないか」ですよ。
「焼け石に水」かもしれないが、窮状を見て、「何かを行動に移す」ことが、大切なんです。
こういうときに、「れいわの山本太郎」は、新潟の上越市に行かないんですかね?
能登地震の時に、被災地に「カレーを食べに行った」ように・・・。
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2005年、18歳の時にダクソフォンを知り、最初の2年間はひたすら自作していた。
生みの親のハンスに見てもらいたくて、出来上がった楽器の写真や録音をメールで送ったが返事はなかった。
彼は英語が分からないのだろうと考え、大学でドイツ語を学んだ。
その後会ってみて分かったが、彼の英語は完璧だった。
ただドイツ留学中に彼に会えたので、結果手に②は良かったのだ。
訪問は私にとってはさながら聖地巡礼。彼の厚意で工房で10日間を過ごした。
その間、詳細な設計書に従って2人でダクソフォン作りいそしんだ。
彼はあらゆる質問に答えてくれたが、私が一緒に演奏しようと言うと拒んだ。
彼にとって音楽は自己表現の手段だった。
一方で木工の技術なら教えられるという考えがあったのだろう。
10日間、私たちは毎日遅くに起きて、日が長い夏の午後9時半ごろまで作業した。
そして毎晩おなじバーで飲んだ。
最後の晩、ベーでハンスの仲間の一人から「次は何を作るの?」と聞かれたので。
私は「ギターを作るよ!」と冗談めかした。
みんな笑ったが、ハンスだけは真剣な顔で「ギターの方がずっと簡単だよ」と私の顔を見て言った。
( 日経 文化 より 「ダクソフォン、師匠との日々」 )