「トッププロになれるのは10万人に1人」。
仲代達矢さんが俳優養成所に入る際にかけられた言葉だという。

   人見知りで無口な19歳は、役者には向かぬと自分でも感じていた。
だが負ければ食っていけない。

   貧しかった幼少の記憶もバネにひたすら稽古に打ち込んだ。
旧軍のリンチの場面で殴られ続け、顔が晴れ上がった「人間の條件。真剣で斬り合う刃音が響く「切腹」。

   黒澤明、小林正樹ら巨匠とのタッグは、多彩でリアルな名演を次々と生んだ。
映画と演劇を両方こなし、映画人からは舞台俳優、演劇人からは映画俳優と。

   冷ややかに呼ばれもしたが、自身は「役者」だと語っていた。
東京が焼き尽くされた大戦末期は12歳。空襲で近所の少女をの手を引いて逃げ惑ううち。

   ふとその手が軽くなる。少女は腕だけになっていた。
供養もできず、後々夢に見た。帆船の姿勢は際立っていた。

   「始めるスイッチはいくらでもある。なのに始めたらやめられない。
絶対にやってはいけない」。戦争を指弾し続けた。

 ( 日経  春秋    より   )