家を建てた時、偶然にも目と鼻の先にこの墓があることに深い縁を感じて千三忌を始めた。
私には「南阿弥陀仏」の墓標が戦争で夫や子を亡くした女性、私の姉のように戦中に命を落とした女性。

  さらに戦後の私たちに向けられたように見える。
姉セイは終戦の直前、夫が戦死したとの誤報を受け自死した。数え23歳。

  遺書には「国の非常時に死んで行くのは申し訳ない」とあった。
姉は戦争の犠牲者でありながら、犠牲を強いた国家に詫びて亡くなった。それが戦争のむごさである。

  麗ら舎には日清、日露、太平洋戦争を知る明治生まれの女性の言葉を掲げている。
「七度の飢饉にあうたってなあ、一度の戦争にあうなってよう」。

  一度の戦争は7年続きの凶作より深い傷を残す。
今日も絶えない世界の戦争を忘れず、麗ら舎のおなごたちは言葉を紡ぎ続ける。

    ( 日経 文化 より 「戦争とおなご 語る読書会」)