45歳になると家族でニューヨーク州に戻り、イーグルブリッジの農園を購入する。
66歳のときに夫が心臓疾患で死去。その後も、行動的な主婦の活動は続く。

70歳のころには、リウマチで手の指が自由に動かなくなる。
そのころ、不自由な指で、孫たちのために毛糸を使った刺しゅう絵を制作していたころ。
妹から勧められたのがペンキ絵だ。
たたちに刷毛を握ってペンキを板に塗ったら、目の前の田園風景が自由に描けるようになったのだ。

そして75歳になって、油絵の絵筆と絵の具を購入。
合板に初めて描いた油絵の風景画を、自作の各種ベリージャムなどと一緒に。
ドラッグストアで販売始めるし始める。
その3年後、通りかかったルイス・カルドアがこの絵を見つけ、2年後に画家として本格デビューしたのである。

「わたしは、揺り椅子にすわって誰かの世話を待っている生活なんて、大嫌いなんです」
自伝にそう書くように、農家の貧しい暮らしや、リウマチによる障害などに直面しても、めげることなく。
あれこれ工夫して克服しようとする。
生涯を貫く前向きな姿勢が、年老いた遅咲き画家を進化させたのであろう。
(  日経  ゴールの流儀より  75歳で油絵、100歳まで画風進化  グランマ・モーゼス )