4歳から通った少年野球チームでは、練習着を買う余裕がなかったため、試合用ユニホームだけを購入。
大弥さんは、継ぎはぎだらけの試合着と700円のビニール製グラブで練習に参加していた。
抜群の運動能力で小学1年からレギュラーに抜擢されたが、遠征費の支払いが間に合わず。
監督に用立ててもらったことも。

 「家庭に居てほしい」と願う夫との約束を守り、礼子さんは勤めに出るのを控えてきたが。
思いあぐねて「お菓子も買えないし、お母さん働こうかね?」と大弥さんに何度か尋ねた。
返事はいつも「お菓子を食べなくても死なないよ。
帰った時にお母さんの顔を見たら安心できるから、働きに出ないで」だった。

 経済的に苦しい思いをさせている分、子どもの願いには全力で取り組んだ。
寝る前に読んだ絵本に海が出てきて、「長いこと泳ぎに行ってない」と子どもたちが言えば。
翌朝5時にみんなで海水浴に向かった。
「キャッチボールをしないと眠れない」と、大弥さんが夜中に起き出してきた時には。
通りに出て自動販売機の明かりを頼りに相手をしてやった。

     ( 読売新聞 オンラインより オリックス 宮城大弥 投手 )