母の蓁(しげる)は、「座るたびしわが違う」という劉生のため。
針と糸で着物を縫い付け、同じようなしわができるようにした。

  麗子像ができるまでには、父と娘の信頼関係と母の献身、家族一丸といなっての協力があった。
麗子は、こうした父との時間を過ごしながら、美点な感覚を養っていった。

  劉生は絵は教わるものではないという考えを持っていた。
描き方ではなく、見ることの大切さ、色彩に宿る美などもっと本質的なものだ。

  劉生の著書「図画教育論」では、幼い麗子が描いた絵に丁寧に感想を書いている。
麗子が書いた「童女図」には、「想像でかいた自像風、童女像であるが、写生画と対比すると。

  ずっと想像風の美が出ていて、顔など、理想画的な美しさが出てゐる」と評している。

  (  日経 文化 より  岸田劉生「麗子像」と母・麗子 )