日本海側から雨雲が降りてきて、雨を降らせると言っていました。
昨日、天六のお地蔵さんを見ると、「地蔵盆(23・24日)」で飾られていました。
夏の終わりを感じさせます。
「ウクライナ支援疲れ」、なんとも悲しい響きがします。
ウクライナが「支援」を求めるのは当たり前です。
ロシアが一方的に、ウクライナの国土を破壊しています、ロシア国内にミサイルは飛んできません。
なんで国連があるのに、ロシアを止められないのでしょう?
ウクライナの大統領がゼレンスキーでなかったら、これほどまでに「世界に訴えられない」と思います。
彼でなかったら、ウクライナは簡単に「プーチンの傀儡(かいらい)政権」になり。
ロシアの隷属国になっていたでしょう。
確かに、ロシアに資源を依存していたために、世界中でインフレーションになっています。
ウクライナの穀物が搬出されないために「食糧危機」になっています。
それゆえに、自国の経済がひっ迫していて、「支援」どころではない、のもわかります。
大学時代、国際政治学で、「友・敵関係」を教えてもらったことを思い出します。
( 友の友→友、友の敵→敵、敵の友→敵、敵の敵→友 )
しかし、現実はもっともっと、複雑な様相を呈しています。
アメリカの敵(中国、北朝鮮、シリアなど)→ロシア支持、アメリカの友→ロシアの敵。
ところが、インド(アメリカの友)は中印国境で揉めているので、ロシアからの武器供与が必須。
トルコは(NATO加盟国なのに)、ロシアとのパイプを持ちつつ、ウクライナへ武器供与も。
日本も、ロシアの天然資源は欲しい→そのお金がロシア軍の戦費に。
まあ、私が嘆いたところで、どうなるものでもありません・・・。
早く、こんな無駄な戦争を終わらせねばいけません。
僕は自分の拙い演技が嫌で旧作は見ないことにしていた。
しかし『天国と地獄』だけは映画祭や取材の関係で拒絶できないことが数回あった。
そして何度も観ているうちに、というか仕方なく観せられているうちに。
あれはあれでいいんだ、と思うようになったのだ。
とにかくヘタ。せりふ、動き、表情、何より演技プランが稚拙、なってない。
今やり直してたらもっとマシに、もっとうまくできるのだがと目を覆う。
だが、あの若造の憎悪、混乱、恐怖、つまり青臭さはもう今はない。
あれはあの25歳のときのもの。あのときでしかできなかったもの。
「あれでいいとするしかない」、と言うことなのだ。
演技は生もの。そのとき限りのもの。いや演技だけでなく日常のすべてがそういうもの。
時間は巻き戻せない。
( 日経 私の履歴書 山﨑努 )