ベーラは56歳で監督として引退宣言した後、2012年にボスニア・へルツェボビナでの首都。
サラエボでフィルムファクトリーを設立した。映画製作をん学ぶ大学院という形態ではあるが。

   若い映画作家を「教育」ではなく「解放」する場だと、彼は繰り返した。
私は運よく1期生として参加し、3年を彼とともに過ごした。

   空っぽの棟に、最初はカメラも編集設備もなく、椅子や机を運ぶことから始まった。
べーラのもとに世界中から17人のフィルムメーカーが集まり、日夜、全身全霊で映画に向き合った。

   心を見透かすような瞳に、何度怯んだかわからない。撮影した映像を共に見ている時。
半端なショットがあると忌憚ない言葉が飛んできた。「何がしたいかのか」。

 「うつっているものしか観客にはわからない」「ロケーション選びとクルーを含めたキャスティングが大事だ」。「物語りは入れもの。映画は人間の関係性や感情を描くものだ」。

   「外に出て、人に出会ことからしかはじまらない」
誰にでも平等に厳しく、誰のことも諦めなかった。べーらrと似たような映画を撮ることを許さなかった。

   ファクトリーのひとりひとりが各々の映画言語に出会い、追求することを後押ししてくれた。

           ( 日経 文化より  「世界の痛み背負った師」 )