時間をかけてメイクし、撮影中もポーズや照明をあれこれ試すので。
気がつけば深夜になっていたりする。

   時間をかければいいというわけではないが、このまどろっこしい手続きをこなしていくうちに。
私は次第に「何ものかになる」手ごたえを感じ取っていく。

   「なる」というのは、「なった」結果ではなく、「なっていく」途上で体感する。
一種の味わい深さのことなのだと思う。

   ゴッホになった翌年の86年、大阪の貸し画廊「ギャラリー白」で。
セルフポートレイト作品による初めての個展を開催した。

   此度(こたび)はゴッホとは打って変わり、ロダンの彫刻になった。
全身でしかも裸体である。 

       (  日経  私の履歴書 より  森村 泰昌・美術家 )