その擦り合わせを兼ね、キャンプでは審判団が各球団を回り、ブルペンでの投球練習に立ち会う。
しかし、審判団に「まだ見てくれるな」という投手がいた。江夏豊氏(阪神など)。

   「江夏は制球が悪い」との印象をもたれないよう。
キャンプ初期の未調整の段階での立ち会いを断ったのだそうだ。

   キャンプから勝負が始まっている、とはまさにプロの世界。
ストライクゾーンなんて1つに決まっている、審判ごとにばらつぅのはおかしい。

   ましてや印象でさばくなんてありえない。それはそうなのだが。
人の曖昧さ、ゆるさが持つ「遊び」の効用というものがある。

 人がやることだから仕方がない、と許し、あるいは諦めるための口実を人はどこかで欲してはいないか。
それはギリギリと白黒を突き詰めていく機械には求め得ないものだ。

   人という緩衝材が除かれた場所で、知らず知らず、人はストレスを抱え込むおそれもある。

(  日経 逆風順風 より   「ロボが球審 温もり恋しい」  )