今日も、いい天気になりました。
今日は、大阪市の多くの小学校で、「入学式」の予定です。
桜も、散り始めていますが、花弁は残っていますから、お祝いにはちょうど、いいですね。
今日は、大阪医科薬科大学病院で、眼科の定期検診でした。
実は、今日から、N女医に変わって、I女医、Nよりもベテランの医師のようです。
ようやく、診察室に入ると、「ずっと、過去のデータを見ていましたが・・・」と、切り出した。
(いやあ、先生、「ずっと」は見ていなかったでしょう。)と、心の中で、思いました。
私の前の患者が、終わって、見ていたら、「ずっと」なんて、時間はありませんよ。
お互い初対面なのだから、「ずーっと、通院されているんですか?」とか、あるでしょう・・・。
(だって、私は27年通院しているし、担当医は、あなたで8人目ですよ!)、とは言いませんでしたが。
まあ、「データを見て、患者を診ない」典型でしょう。
これも、養老孟司先生に言わせると、「バカの壁」ということですね。
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僕は聞いてみた。「どうして僕の注文を何でも聞いてくれるんですか」。彼はこう答えた。
僕の中ではキャスティングの時から準備ができているんだ。
キャスティングで映画の大枠は決まる。だから、なんでも受け入れる覚悟がある」。
そんな話をしていて、ふと気づいた。篠田さんは化繊の簡素なオレンジ色のブルゾンを着ている。
イグアスでもこれだったような。まさか10年も来ているわけないか。でも聞いたら、そうだった。
「これは好きなんだ。好きだから大事にしている」と篠田さん。ああ、そういう人なんだと思った。
2003年の「スパイ・ゾルゲ」の後の引退宣言もびっくりした。
僕は1998年に61歳で「リア王」をやって、舞台は終わりにした。僕の芝居は体力勝負。
映画と違って長丁場の舞台を乗り切るエネルギーが無くなった。だからやめた。
引退宣言を聞いて、篠田さんがベルリンで言ったことを思い出した。
「僕は気質として監督に向いていない。僕は学者なんだ」。
その時は本気と思えなかったが、記憶に残っていた。「あれは本音だったんだ」と思った。
( 日経 文化 より 「篠田 正浩さんを悼む・山崎 努」 )