ルーマニア出身のプランクー氏は1907年、パリで「近代彫刻の父」ロダンの下彫りと工して。
働き始めたが「大木の下には何も育たない」とほんの1カ月で辞めた。

  分業体制の工房でドラマチックな人物像を造ったロダンに対し。
素材と向き合い、一人でフォルムを追究、彫刻に確信を興した。

  ロダンは台座を無くそうとして物議をかもしたことがあった。
一方のプランクーシは、台座部分が連なったような後年の作品「無限柱」のように。

  特徴的な独自の台座の上にそっと作品を乗せた。
台座なしで自立する作品もあり、台座が単なる台ではなくなった。

  アトリエを再現したコーナーでは、インスタレーションのように台座も作品も。
まとめて配置されているのが印象的だ。

   (  日経 文化 より  20世紀彫刻の革新映す  )