今日も、風がなくていいです。
洗面所を、掃除していたら、黄色いイチョウの葉が1枚、ランニング中に、運んできたようです。
ひところは、13倍超もの、高倍率を誇った、教員採用試験も、3倍ぐらい。
合格しても、辞退が相次ぎ、教育実習でイヤになったとか、担任を持たされてメンヘルになって退職。
給料を上げたら、人数が増えるというものでもないでしょう。
「教員」が、「労働者」という考え方になってから、「センセー」の地位は、下がったような気もします。
私が高校生のころ、日教組に入っている教員が、ストライキを咆哮していました。
確かに、ブラック企業並みですが、何となく「尊敬できる人」ではなく「サラリーマン」に、なったのかも。
「先生」も「聖人君子」ではありませんから、難しいですね。
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中尾さんの遺体を「芝居で寝てるみたいな顔してた」という池波さん。
「だから、送るのもちゃんと、そのまま銀座に飲みに行けるような格好にしてあげて。
ねじねじして、送ってあげました」とし。
“死に装束”にトレードマークのねじねじマフラーを着用させたことも明かした。
また池波は、中尾さんの晩年は手術の連続であったことも初告白。2007年に急性肺炎で緊急入院。
生存率20%と診断されて以降は「あっちこっち手術したりしてるんですよ。
皆さんに誰にも言わず、スタッフにも言わず、ちょうど休みが取れたところで手術して。
元気になって、平気な顔で復帰してたんです。誰にも言わず、私しか知らない」と話した。
具体例として「『ヨーロッパに絵を描きに行ってる』と嘘をつき。
病院で手術して、治って普通に復帰していたんですよ」と告白。
「片っ方の肺、3分の2取っちゃってるんですよ。
それで10日間で普通に復帰した」と驚きの事実も明らかにした。
中尾さんを突き動かした原動力を池波は強烈な“役者魂”だったと説明。
「『役者は、弱ってるのを見せるくらいならそこで引退しろ』ぐらいな。
見せちゃいけない、やりたくないっていう人だったので、そこは通させてあげた」としみじみ語った。
( デイリースポーツ より )