相手がいちかばちかの勝負に出てくる以上、投手側も割り切って行く必要がある。
それができていたのが今永だ。

   四球は多かったけれども、しっかり腕を振った結果であって、佐々木の与四球とは違っていた。
若くして完全試合をなし遂げた佐々木の絶対的な投球への期待は大きい。

   しかし、そこは発想を変え、打たせる。あるいは打たれる覚悟が必要かもしれない。
ドジャースの大先輩に1950~60年代にかけて165勝をあげ。

   野球殿堂入りしたサンディー・コーファックスがいる。めっぽう速くて、カーブも切れる。
佐々木のように、いくらでも三振が取れていたが、自分でも「いい投手」になったと。

   思えるようになったのは打者を完璧にねじ伏せようという投球から。
どうやって打たせるか、と発想を転換した時からだった。

   少しくらい打たれても、という心の遊びが、投球の幅をもたらしたのだろう。
1965年には完全試合も達成している。

   少しでも長い回を投げ、チームに勝ちをもたらすのが先発の使命。
それを長丁場の中で続けるのがメジャーのエースだ。

            (  日経 より 「勝利とショー二刀流」  )