早大に入って何より良かったのは堀江忠男先生に出会えたことだ。
私が3年生の時、堀江先生がサッカー部の監督に復帰されて距離はぐんと縮まった。

   勉学はさぼりがちな私も、政経学部の堀江先生の講義は出て、卒論のゼミでも指導を仰いだ。
ある日、東伏見の自宅にお邪魔した。ちょうど1979年の12月のソ連のアフガニスタン侵攻により。

   80年モスクワ五輪ボイコット問題に世が沸騰していた頃だ。
マラソンの瀬古利彦や柔道の山下泰裕ら金メダルが有望視された同世代のアスリートの。

   胸中もおもんばかりながら、私が「スポーツが政治に左右されるのはおかしくないですか」と聞くと。
先生は「お前はスポーツマンか、それともスポーツマシンか、どっちだ」と逆に質問された。

   「スポーツマンのつもりです」と答えたら「だったら一人の人間として、ソ連の行為をどう思う。
そこをよく考えて自分で判断しろ」と言われ、どきりとした。

   また常々、先生は「」自分にとってサッカーはなくてはならないものだが。
一番大切なものではない」と話されていた。私はそれを学問だとばかり思っていた。

 

       ( 日経  私の履歴書 より 岡田 武史・元サッカー日本代表監督 )