今日も、「危険な暑さ」という、感じです。
今日も、地域によっては、40℃越えになるのでしょう、ねえ。
大川(旧淀川)沿いを、走ると、たまに見かける親子連れが、いてました。
お母さんが車椅子を押して、右半身不随のお父さんを、20代ぐらいの息子さんが、後ろから支えて。
「歩行練習」をしていました。脳溢血か?、脳梗塞か?で、右半身がやられたのでしょう。
「TVタックル」を、見ていたら、参政党の顧問・田母神さんの、話がよくわかりませんでした。
まあまあ、相手に「やられない武器(恐怖)」を、持たせることは大切だと思いますが・・・。
それは、「外交努力」だったり、「(援助などの)ソフトタワー」だったり、・・・。
唯一の被爆国としては、そうするしかないんじゃないですかねえ。
「核弾頭を開発するのにいくらかかる?」「どこで実験をする?」「維持するのにいくらかかる?」
「防衛費はいくら削減できる?」。
田母神さんは、一つも、答えられませんでしたから・・・。
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2020年4月7日、当時の安倍首相が緊急事態宣言を発令した直後。
町の様子を見たくて大阪ミナミの繁華街まで徒歩で出かけた。
コロナ前は海外からの観光客で歩くのもままならぬ混雑ぶりだったのに。
グリコの看板が見える戎橋にも、カニやエビのハリボテ看板が有名な道頓堀もにも人がいない。
その光景は、核戦争による人類の滅亡を描いた映画「渚にて」(1959年)のラストシーンを思わせた。
だが不思議と恐怖は感じなかった。むしろ私はこう思った。「静かだな」と。
地球上の喧騒はすべて人間の仕業で、人間がいなければ。
地球はとはこんなにも静けさに満ちた星だったのだ。
人間が登場する以前の在りし日の地球に思いを馳せると、次第に今の静けさが本来の地球のようで。
なんだかそれが愛おしい美学のように感じられてくる。
ならば、世界が停止しているうちに、人間の世界なんか放っておいて。
この静けさの美学と心ゆくまで付き合ってみてはどうだろうか。
そう思い立ち、しかし私がやろうとしたのは、ひたすら本を読むという。
実にささやかな楽しみに過ぎなかった。
( 日経 私の履歴書 より 森村 泰昌・美術家 )