朝方、少し日が差していましたが、雲が厚くなってきました。
大雨の予報です、災害に注意しないといけない状況が続いています。
台風がまた、列島に近づくようです。気をつけてお過ごしくださいませ。
昨日、1年ぶりで、「歯医者」に行ってきました。
別に、痛いところはなうのですが、この時期に行くようにしています。
6月4日は、虫歯予防デー、ですから・・・。
18時に予約して、20分位でしょうか、歯石を取って、クリーニングをして。
「歯医者」って、「行きたくない・行かない」イメージですよね。
ほかの医者なら行くでしょうが、鎮痛剤を飲んだら、歯の痛みはなくなりますからね。
行かないですよね・・・。でも、中高年になったら、「行くこと」をお勧めします。
生きていくうえで、大切なことは、「食べること」「寝ること」「動くこと」です。
その中で、おいしく食べるには、「歯が大切」です。
しばらく、ご無沙汰の方は、行ってみてもらった方がいいです。
ただし、かかりつけの歯医者が無い方は、よく調べて、見つけた方がいいです。
歯医者はコンビニよりも多いと言われています。「金儲け」だけの歯医者はいっぱいいます。
私の行っているところは、1回で終了するんです、だから、信用しています。
普通の「ヤブ歯科医」は、「上の歯石」「下の歯石」「クリーニング」、と。
なんでもないのに、3回通院させたがります。セコイところがありますから、注意は必要です。
ただ、健康で過ごすためにも、中高年は、年に1回は「歯医者」で歯を診てもらうことも必要です。
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これだけでは何故京都か、もう一つ説得力に欠ける。
それには、父宗広が深く関わっていたのである。
先述したように、小次郎が江戸から父の『大勢三転考』の町出版を知らせたあと。
宗広は、田辺幽閉中に書き留めた詩文を『余身帰』と題して私刻本として上梓し。
それを京・大阪の友人知人に贈呈したが、この書を手にして甚く感銘を受けた人物に、中川朝彦親王がいた。
中川宮は、わざわざ江戸の「小宮山」から『大勢三転考』を取り寄せ、読了後、直ちに宗広に書状を送った。
事情が許すなら、是非上京されて、歌学、仏典などを講じていただきたい。
住まいは当方で用意する、という内容である。
宗広はこの年六十一歳の還暦を迎え、「楽しきも憂きのかぎりも見つくして昔にかへる春はきにけり」と。
詠んで、和歌山城外大田の竹林で生涯を終えるつもりだったが。
都の堂上公卿の最上位に立つ中川宮の勧誘に心が騒いだ。
( 日経 陸奥宗光の青春 より )