今朝、大川(旧淀川)沿いを走ると、セミの鳴き声が、一段と広範囲に、大きくなっていました。
もう、「梅雨明け」といってもいいでしょうね。
今週は、曇ったり、雷雨があったりするようですが、・・・。
都知事選で、2位に入った、「石丸伸二」氏。
マスコミに、「ちやほや」されたと思ったら、今度は、「たたき」に、来ています。
まあ、マスコミというのは、「持ち上げておいて、落とす」は、常套手段ですからね。
いろいろな番組に引っ張り出されて、「鮮度=賞味期限」が、あるうちは、視聴率が取れますからね。
安芸高田では、「恥を知れ」なんて、ことばが、話題になりましたが・・・。
どうも、あまり、大した政策を持ち合わせていないような、発言もあったりします。
ここは、「周りに踊らされず」に、もう少し勉強をした方がいいように思います。
「イロモノ」で終わってしまうのか?、分かれ目のような気もします。
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利き手の右でラケットを握っていた幼子に石田の母の千栄子が左打ちをすすめ。
父の真行は後に代名詞になる攻撃的なドライブを教えた。
目指したのは世界で通用するスケールの大きなプレー。
その指導を早田がスポンジのように吸収していく様を石田は何度も聞き、将来性を感じたという。
自身も日本リーグやスウェーデンリーグなどでプレーした元選手だ。
20代後半で引退し、ミズノに就職。
会社員として卓球に関わる生活は「天職」だったが、中学2年の早田が。
伊藤美誠(スターツ)を破った全国大会決勝を目の当たりにして、文字通り人生が変わった。
「打たれてもひるまず反撃する能力を見て、ひなは絶対に強くなる、世界で戦えると思った」。
約7年勤めたミズノを退社。
「この子は自弁で努力できる」という両親からの引継ぎを踏まえ。
最初に伝えた言葉は今も指導の羅針盤だ。
「コーチの言うことを全て聞いたら強くなるわけじゃないよ」。
極限状態で勝敗を分けるのは精緻な技術と駆け引き。
自身の経験でそれが痛いほど分かっているから徹底して主体性を促してきた。
( 日経 スポーツ より ともに頂点へ① )