「母という呪縛 娘という牢獄」

生活

   今日は、曇り空、それでも、「立春」になりました。
ほかに、「立夏」「立秋」「立冬」がありますが、一番、待ち遠しいのが、「立春」ですね。
まだ、何回か、寒気が降りてきそうですが、春に向かっています。

   読了の余韻  February ①

   「母という呪縛 娘という牢獄」 齋藤 彩 著
                       講談社   1980円(税込み)

  表紙からして、「包丁」を突き刺しているのですから、なんとも表現しようがないですね。
守山市で起きた、母親を殺害して、死体をバラバラにして、遺棄した事件を書いています。

  接見や、裁判記録、などから、書かれています。
読んでみて、私は、犯人の「娘」に、同情せざるをえませんでした。

 「異常」な事件だというけれども、「異常」なのは、「母親」の方ですね。
自分は、岩国の工業高校卒なのに、娘に、「医者になれ」と言っても無理でしょう。

  自分が教えられないのに、それは無茶ですね。

  ただ、この母娘に限らず、言えることがあります。
「世間と関わらない」状態だと、考えが偏狭になり、「異常な状況」を、生み出すということです。

  この母親は、パートに行っていたのですが、職場でうまくいかず、辞めています。
そして、さらに良くないことには、この母親の母親は、歯科医師の米国人と米国在住で。
お金を送ってくるんです、また、夫には、小遣い3万円をわたし、全部、自分のものに。

  お金に困らないから、やることは家の中で、娘と二人、「娘をイジメる」ことのみ。

  こういう状況って、よくありません。この母娘以外でも、形を変えて、存在すると思います。
「世間とのつながりがなく」、「生活するのには困らない」、だったら、→ 身近な人をイジる。
  そんな風に、なってしまうのではないでしょうか。

  これは、形を変えて、存在すると思います、事件にならないだけで・・・。
「社会とのつながり」は大切です。気分転換になったり、愚痴を聞いてもらったり、笑ったり。

  思考を平衡に、保つことができます。
それがないと、こんな事件も、起こりうるということです。

  お金に困っていたら、、娘に浪人なんて、させませんから・・・。

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    心に残る言葉 February ④
  ” 誇りは人を最後まで支える杖であり、砦だ。”   

    この町にも子ども食堂はある。
昨年の暮れには広場で食事を無料提供すると、ボランティアが宣伝カーから呼びかける声を耳にした。

  けれどその列に並ぶことをためらう人はいるに違いない。
時分とて、施しを受ける姿に注がれる他人の視線を想像するだけで足がすくむ気がする。
誇りは人を最後まで支える杖であり、砦だ。

  ロースカツ弁当、水晶鶏のしらす小町、春菊天と焼鯖のり弁。
カラフルな弁当を眺めるうち「無人」という言葉の印象も色づいてきた。

  かかわらない、触れない、そっとめをそらすしぐさに宿る優しさがある。
テーブルに置かれた伝言ノートに「次回来店時お支払いします・・・」の文字。
人間への信頼があればこそ、である。

     (  日経  春秋 より  )

   生活雑感 February   ④

 

  藤波投手が、メッツと契約しました、よかったですね。
ただ、1年契約とは、まだまだ、球団の方も、手探りなのでしょう。
まともな、戦力にならなかったら、「おしまい」ということも踏まえて、頑張ってほしいですね。

 

 

    今日もよい一日でありますように

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