「耐えられるか不安」とは、これまた事態は深刻。
50歳を迎え、妻との暮らしが15年目に突入した筆者としては、他人事とも思えません。

   結婚生活がはらむ厄介さは、あまたのおとぎ話が「めでたしめでたし!」の。
翌日以降の物語をかたくなに描かないtことからも明らかでしょう。

   出会ったときは魅力的に感じた異なる価値観も今はそう映らない。
とはいえ、地動説と天動説ほどの反目し合っているわけでもありますまい。

   大抵、醤油派かソース派かに毛の生えた程度に収まります。我が家はきれい好きか否か。
10代の6年間、筆者は引きこもりでした。

   その頃、苛まれた強迫性障害の残滓もあって、潔癖と言ってよいほど。一方、妻はおおらかです。
最初のうちは「散らかっているな」とストレスでしたが、「まあ別に死にはしないか」

   「自分が片付ければ」と妥協できるようになりました。
おかげで人生が随分、楽になったと感謝しているくらいです。

   会話の件もそう気に病む必要はない。
「美人」「優しい」などパートナーの良い点は交際時でとっくに消化済み。

   年月を重ねれば「一目置く場所」がなくなっていく、オセロや囲碁と変わりません。
公私ともに「2人」でやってきた筆者には身にしみている。

   妻より長く連れ添った「相方」だとより顕著で、営業ステージだろうがテレビ収録だろうが。
本番前はほとんどしゃべりません。しかし、漫才の疲労に支障はない。そういうものです。

       (  日経  なやみのとびら より 「妻と会話ない生活に耐えられるか」 )