「魔曲」

生活
  今朝も、雲が広がっています。
東北、北海道は大雨とのこと、災害にならないことを祈ります。
  今日は、長崎の原爆慰霊の日、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

      「魔曲」

  私が小学生から高校生ぐらいまでの、「甲子園の応援曲」は。
「コンバット・マーチ」(早稲田大学)か、「ダッシュ慶応」(慶応大学)。
東京六大学野球の応援から持ってきたものでした。

その後も、「狙い撃ち」(明治大学)、「チャンス法政」(法政大学)なども・・・。

まあ、これらは、応援指導を東京六大学の応援団にしてもらったからといえますが。

  しかし、今や、「魔曲」といわれ、チャンスにはその高校独自の曲で盛り上がっています。
智辯和歌山高校「ジョック・ロック」、習志野高校「レッツゴー習志野」などなど。

  高校生が作曲したものや、その高校で生まれたものもあり、多種多彩です。
  甲子園の風景もずいぶん変わりました。
   心に残る言葉 August ⑨
     ” 私が一番よく知っている ”

  先発の生盛(3年)が自己最速148キロを叩きだすなど上々の立ち上がりでゲームメーク。
打線も3回に中軸の3者連続適時打などで5点を奪って流れを引き寄せたように見えた。
だが、4回から生盛の持ち味である速球が捉えられ始める。
ジワジワと迫られ、5―3で迎えた8回に相手4番・片野(3年)にソロを被弾。
二死までこぎつけるも、連打で痛恨の同点打を献上して振り出しに戻された。

  興南にとって悲劇的な幕切れとなったのは9回だ。
生盛が先頭打者を出すと、我喜屋監督は右翼を守っていた安座間(3年)にスイッチ。
一死から満塁策などで塁を埋めると、最後は球場がざわめく押し出し死球で2番手右腕はヒザから崩れ落ちた。

  安間座は完全に抜けた球が右打者の背中付近に直撃したラストシーンを。
「アウトコースにスライダーを投げようとした」と説明。
試合後の生盛とのキャッチボールでは「生盛から『俺のせいだから』と言われたので。
『ごめん』と返した」とあふれる涙を拭った。

  我喜屋監督は「選手は当然ミスもあったし、いいところで打ってくれたし。
ベストを尽くして戦い抜いていることを私が一番よく知っている。
胸を張って沖縄に帰ってもらいたい」とナインを気遣った。
「令和初勝利」目前で残酷な結末。沖縄の名門は、この敗北を糧として再スタートを切る。
(  ヤフーニュース より  )

   生活雑感   August ⑨
  岸田内閣が改造ですか・・・「旧統一教会系の話題」を早く収束させたいのでしょう。
改造すると、少し「支持率」が上がりますからね。
    今日もよい一日でありますように
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