2005年、18歳の時にダクソフォンを知り、最初の2年間はひたすら自作していた。
生みの親のハンスに見てもらいたくて、出来上がった楽器の写真や録音をメールで送ったが返事はなかった。

   彼は英語が分からないのだろうと考え、大学でドイツ語を学んだ。
その後会ってみて分かったが、彼の英語は完璧だった。

   ただドイツ留学中に彼に会えたので、結果手に②は良かったのだ。
訪問は私にとってはさながら聖地巡礼。彼の厚意で工房で10日間を過ごした。

   その間、詳細な設計書に従って2人でダクソフォン作りいそしんだ。
彼はあらゆる質問に答えてくれたが、私が一緒に演奏しようと言うと拒んだ。

   彼にとって音楽は自己表現の手段だった。
一方で木工の技術なら教えられるという考えがあったのだろう。

   10日間、私たちは毎日遅くに起きて、日が長い夏の午後9時半ごろまで作業した。
そして毎晩おなじバーで飲んだ。

   最後の晩、ベーでハンスの仲間の一人から「次は何を作るの?」と聞かれたので。
私は「ギターを作るよ!」と冗談めかした。

   みんな笑ったが、ハンスだけは真剣な顔で「ギターの方がずっと簡単だよ」と私の顔を見て言った。

       (  日経  文化 より 「ダクソフォン、師匠との日々」 )