ここまで駆り立てられたのは日本代表の絶対エース、上野由岐(ビックカメラ高崎)の存在だ。
上野が変化球を習得すれば、攻略しようと試行錯誤。
「ヒットを打ちたくて練習し、同じ仲間になれば一緒に世界一を取りたいと思ってやっていた。
同じ時代を過ごして目標となる人だった」。
1学年上の大投手がいなければ「もっと早く引退していた」とさえ思う。

残り火を燃やして22年新設のJDリーグを戦い抜いたが。
突き抜けた成績を残すことも、その準備をすることも難しくなっていた。
「一生打率2割5分でよければできる自信がある。でもそれでは見ている人を喜ばせることが出来ない」。
長く第一線で活躍した左打者らしい引き際だ。

今後は普及や指導者の道を探り、24年以降の大学院進学も目指す。
「これからは(選手を)サポートする側に回る。人としてどうあるべきか、勉強しなければ伝えられない」。
第二のソフトボール人生が始まろうとしている。
   (  日経  引退模様より  山田恵里  ソフトボール  )